2019年12月、愛宕神社を訪ねました。
たまたま青松寺を訪ねたところ、すぐ近くに愛宕神社があり「出世の石段」という観光スポットがあるということで行ってみました。
実はテレビでもよく出てくる有名なパワースポットだったらしく、急な石段での三代将軍徳川家光公と曲垣平九郎のエピソードが魅力です。
1.標高26メートル、自然の地形としては23区内で一番高い山
この愛宕神社がある愛宕山は、標高26メートル。たった26メートルと思ってしまいますが、自然の地形としては23区内で一番高い山なのだそうです(愛宕神社ウェブサイトより)。
江戸時代には見晴らしの名所として多くの人が訪れ、東京湾や房総半島が見渡せるとても景色の良いところだったそうです。
現在はビルに囲まれていて、東京タワーも見えます。もし将軍が見たらなんというでしょうか「あのどでかい矢じりはなんじゃ?」「あの突先へ上ってまいれ」など想像が膨らみます。
2.愛宕神社について
石段を上った先にある愛宕神社の歴史は江戸時代にさかのぼります。
1603年(慶長8年)、徳川家康公の命により、防火のため火の神様「火産霊命(ほむすびのみこと)」が主祭神として祀られています。
しかし、一度は江戸大火災で全焼してしまいました。その後、明治10年に本殿や社務所が再建され、昭和20年の大空襲などでまた多くが焼失しましたが、昭和33年に現在のように再建されています。
3.出世の石段
そして、順番が前後してしまいましたが最初に上ったのがこの「出世の石段」です。
Success Steps
In the Edo period, a famous Samurai named MAGAKI-HEIKUROU went up and down the stairs riding a horse. Since then he succeeded in his life. These days people share his good luck and go up the stairs to wish for their success.
Atago-Jinja
看板には上のように英語で「江戸時代のサムライ曲垣平九郎が、馬でこの坂を駆け上がり出世した」という簡潔な説明がありました。
実は帰り道に、この看板の裏に日本語で詳しいエピソードが説明されているのに気づきました。
日本語の説明では、詳しい背景が分かります。
「出世の石段」のいわれ
愛宕神社正面の石段「男坂」(となりの緩やかな石段は「女坂」)は別名「出世の石段」と呼ばれ、その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の一人曲垣平九郎(まがき へいくろう)の故事にちなみます。
時は寛永十一年。
三大将軍 徳川家光公が芝 増上寺ご参詣の帰り道、神社に咲き誇る源平の梅の馥郁(ふくいく・・・よい香りがただようさま)たる香りに誘われて山頂を見上げて「誰か騎馬にてあの梅を取って参れ」と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下などとてもとても・・・と家臣たちは皆一様に下を向くばかり。
誰一人名乗りでる者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時!一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を上り始めました。「あの者は誰じゃ?」と近習(きんじゅ:主君のそば近くに仕える者)の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き愛宕様に「国家安泰」「武運長久」を祈り、梅の枝を手折って降りてきました。
早速家光公にその梅を献上すると「そちの名は?」(君の名は?、ではない)「四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます」「この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ。日本一の馬術の名人である。」と褒め讃えられました。
一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世をした故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰を頂いております。
引用:愛宕神社の看板にある「出世の石段のいわれ」。いくつか難しい単語への補足を加筆。
ということで、丸亀藩(香川県)の曲垣平九郎(まがき へいくろう)という馬術の達人が、将軍様の前で褒められて出世した石段とのことです。
4.住所・アクセス:都内のビル群の中
住所は東京都港区愛宕1丁目5−3。周りは高層マンションや東京タワーに囲まれる、都心の一等地です。
アクセスは、御成門駅や神谷町駅から徒歩7~10分程度。
東京駅南口からバスでも行けます。東98(東急バス)で約15分の「慈恵会医大前」バス停から徒歩2分ほどのところにあります。
香川県、丸亀の方は、東京観光の1つにぜひ行ってみてください。